chakokuのブログ(rev4)

テック・コミック・DTM・・・ごくまれにチャリ

なぜチャリに乗るのか?(覚書)

そもそも運動オンチなのだが、下手だからよけいムキになるのか、大学時代はスキーをやっていた(レースではなくて基礎スキー)。物心ついてから(幼稚園前後ですでに自覚していた)ずっと運動オンチが身にしみていたので、体育の授業は全然面白くなかった。が、、大学でクラブで運動して初めてスポーツの力というか価値というか、、そういうのを感じた。結婚していろいろ生活も変わったのでスキーをやるのは非常に難しくなった。
で、、最近やっているのはロードバイク。。本当は中途半端になったディンギーを深堀りしたいのだが、諸般の事情*1でもっぱらロードバイクで休みの日に半日程度走っている。自分の乗ってるのは、そんなに高くないPanaのPOS(簡易オーダー)のクロモリフレームでパーツはシマノの105で組んだ程度*2。最近のカーボンフレームと比べると結構重い方と思われるが、、そんなバイクで坂道を走ったりしている。
で、、なぜ自分はチャリに乗るのか??それはひとつには自分と向き合えるから。向き合うといっても大げさなことではないけど、一人でえっちらおっちら走っていると、自分が自分と向き合うというか、、ある意味、自分だけの一人になれるというか。。かつて一人でドライブしていた*3ときも、車の中では自分ひとりなのでなんかほっとするというか、満ちたりるというか、そういう感じがあったけど、人の少ない山道を走ってると自然の中で、自分と向き合う時間があって、そういうのが、普段の生活でなかなか得られないのがありがたい。
で、もうひとつはしんどい坂道を走るとリアルを感じるというか、今ここに存在するというのを体のしんどさを通じて感じるというか、そんな印象がある。普段(家に居るとき、仕事をしている時、etc)も現実なんだが、、走ってる時の実在感とはちょっと違うのだ。いうなら、体を通して外界を感じているのかもしれない。仕事では体使うより頭、、さらには気遣いが多いから。。体を通してリアルを感じることってそうそうないように思える。大昔の人々の仕事はもっと体使っていたから、そんな喪失感はないのだろうけど、しんどくてひーひー言いながら坂道走っていても妙な充実感があるのは、やはり体優先で物事を捉える時間だからではなかろうか。。体でっかちというやつ。。あとはさっき書いた、自分ひとりになって、自分の奥の自分が見えるような、見えないような。。あるいは、何層にもなっている自分というたまねぎの皮を剥くような。。
最後のひとつは、知らない場所に自転車で行けてしまううれしさというか、プチ旅行をチャリでできてしまうというのも痛快。100k走れるようになると結構行動範囲が広がって、電車乗り継いでも大変な場所(特に路線の都合でまっすぐにいけない場所)にチャリで行けてしまうのが面白い。もちろん車とかバイク(オートバイ)が一番早いのだろうけど。

だからまぁ言い訳になるけど、筋トレしてタイム縮めようとかそういのは毛頭なくて(登れないきつい坂道をノンストップで登りたいというのはあるけど)、ただ、とまらず山坂道をどこまでも無駄なくスムーズにクランクを回し続けたいだけ。。

*1:どうもヨメハンの認識では、バイク=○、ディンギー=×の判定が降りているので、、ディンギーは今後もできそうにない

*2:ショップでバラで注文して自分で組み立てた。。

*3:車は売ってしまった